政策決定・方針の核心: なぜ行政システムの改修は「ボタン1つで2,000万円」かかるのか?
「申請フォームにボタンを1つ追加し、項目の並び順を変えたいだけなのに、ベンダーから『見積もり2,000万円、納期半年』と言われた」
これは誇張ではなく、全国の自治体や官公庁のDX担当者が現場で日常的に直面している冷徹な現実である。民間企業であれば、数時間から数日で修正し、費用も数万〜数十万円で済むようなWeb画面の改修が、行政の世界ではなぜ数千万円の税金と半年もの月日を要してしまうのか。
世間では「公務員のITリテラシーが低いからだ」「大手が税金を中抜きしているからだ」と個人の資質や感情論に帰結させがちである。しかし現場の構造を紐解くと、原因は個人の怠慢でも悪意でもない。30年以上にわたって固定化されてきた「調達構造の制度疲弊」と「ベンダーロックインの罠」にある。
感情論で批判しても行政のシステムは変わらない。本稿では、公正取引委員会が公表した公式調査白書や中核市市長会の実態調査データという客観的なエビデンスに基づき、行政ITの「ブラックボックス」を解剖する。その上で、東京都が設立した「GovTech東京」による43億円超のコスト削減実績や自治体内製化の成功モデルを検証し、地方自治体が明日から始められる「内製化PoC(概念実証)」の脱却シナリオを具体的に提示する。
第1章:数字で見る行政ITの病理――公正取引委員会の公式白書が暴いた真実
行政ITの高コスト構造は、単なる「高い・安い」の問題ではなく、市場競争が完全に機能不全に陥っていることに起因する。この実態を白日の下に晒したのが、公正取引委員会が2022年2月に発表した『官公庁における情報システム調達に関する実態調査報告書』である。
ここに記された数字は、日本の行政ITが直面している構造的病理を冷徹に証明している。
1. 継続契約率「98.9%」――一度入ったら二度と交代できない
公正取引委員会の調査(報告書本体PDF p.22)によると、官公庁における既存システムの運用・改修において、過去の契約相手である既存ベンダーがそのまま受注した割合は「98.9%」に達している。競争による新陳代謝はわずか1.1%しか起きていない。
2. 再契約理由の第1位は「既存ベンダーしか把握していない」(48.3%)
なぜ同じベンダーが選ばれ続けるのか。報告書(p.24)によれば、行政機関が既存ベンダーと再契約せざるを得なかった理由のトップ(48.3%)は、「既存ベンダーしか既存システムの内容を把握していないため」であった。「技術的に優れているから」でも「コストが安いから」でもない。システムの中身がブラックボックス化され、発注元である役所自身が仕様を把握できなくなっているため、他社への乗り換えが物理的に不可能な状態に追い込まれている。
3. 一者応札率「73.9%」――形骸化した入札制度
会計法や地方自治法では「一般競争入札」が原則とされている。しかし実態は、競争入札の形式をとった調達の73.9%において、入札に参加したのが「既存ベンダー1社のみ(一者応札)」であった(同報告書 p.21)。他社は既存の仕様書が不透明すぎてリスクが高く、見積もりすら出せないためである。
設計書が更新されずドキュメント未整備。役所側に仕様を把握できる人材が不在。
既存ベンダーにしか要件定義や仕様書が書けない状態(発注側のITガバナンス喪失)。
他社はリスクが高すぎて辞退。一者応札率73.9%で実質的な随意契約状態へ。
既存ベンダーが独占受注。参入障壁が固定化され競争原理が完全停止。
多重下請けマージンと過剰なリスクプレミアムの上乗せ。言い値がまかり通る構造に。
多重下請け構造と「見えない安全マージン」
さらにコストを押し上げているのが、大手SIerを頂点とする多重下請けピラミッドである。元請けの大手企業は、万が一の障害や要件変更に対する責任を負うため、見積もりに莫大な「リスクプレミアム(安全マージン)」を積む。実開発を行う2次請け・3次請けの中小ソフトウェアハウスにはわずかな人件費しか渡らない一方で、階層を重ねるごとに管理費・マージンが累積し、最終的な見積額が跳ね上がるのである。
第2章:「標準化2025年の崖」の皮肉――なぜコストが2.3倍に跳ね上がるのか?
国(デジタル庁)は現在、全国1,741市区町村の基幹20業務(住民基本台帳、税、福祉など)を統一仕様のパッケージに移行し、政府共通基盤「ガバメントクラウド」上で運用する「自治体情報システム標準化」を進めている。
本来の目的は「全国共通化による運用コストの3割削減」であった。しかし、現場の自治体から上がっている悲鳴は、皮肉にも「大幅なコスト増」である。
中核市市長会アンケート:運用経費は「平均2.3倍」「最大5.7倍」へ
全国の中核市(人口20万人以上の都市)で構成される中核市市長会が実施した調査(地方公共団体情報システム標準化に関する緊急要望)によると、標準化システム移行後の年間運用経費は、従前と比較して全国平均で2.3倍、最大で5.7倍に跳ね上がるという衝撃的な見通しが明らかになった。
| 項目 | 当初の国の想定 | 自治体現場の実態(中核市市長会等) |
|---|---|---|
| システム運用費 | 3割削減 | 平均2.3倍、最大5.7倍に高騰 |
| 移行ベンダー | 複数社の競争促進 | 既存大手ベンダーへの集中・寡占化 |
| 自治体負担 | デジ田交付金等で充当 | 補助上限超過分・回線増強費の自己負担持ち出し |
なぜ、標準化によってコストが下がるどころか激増しているのか。理由は3点ある:
- クラウド専用回線費用の増大: 各自治体の庁舎とAWS等のガバメントクラウドを結ぶ専用ネットワーク回線(帯域確保・高セキュリティ要件)の費用が想定以上に高額であること。
- パッケージ移行・データクレンジング費用: 過去数十年かけて各自治体が独自カスタマイズしてきたデータを、国の標準フォーマットに変換するための改修費をベンダーから高額提示されていること。
- ベンダーの売り手市場: 2025年度末という移行期限に全国一斉で作業が集中した結果、対応できるエンジニアが枯渇し、ベンダー側の価格設定が極めて強気になっていること。
基幹系の大規模標準化が進む一方で、住民が日常的に利用する「フロントエンド(オンライン申請・相談・地域サービス)」や「職員の日常業務改善」までを大手任せにしていれば、自治体の財政は持ちこたえられない。だからこそ今、「小さく素早く内製化するシビック・ガバナンス」が急務となっているのである。
第3章:突破口は「東京都GovTech」と「現場の内製化」にあり
この固定化した構造に対して、公的機関自らがメスを入れ、明確なコスト削減実績を出し始めている先進事例が存在する。
各自治体が単独で大手SIerに丸投げ → 言い値調達・多重マージン(高コスト・改修に数ヶ月・仕様のブラックボックス化)
都内自治体群(55団体)× 専門エンジニア集団 → 共同調達で累計43億円削減 & 現場市民開発(神戸市1,000アプリ自作)
事例①:東京都「GovTech東京」――共同調達で「累計43億円」を削減
2023年7月、東京都は宮坂学副知事(現理事長)の主導のもと、官民協業の推進エンジンとして「一般財団法人GovTech東京」を設立した。
GovTech東京が叩き出した最も象徴的なエビデンスが、都内区市町村を巻き込んだデジタルツールの「共同調達」による劇的なコスト削減効果である。
- 初回実施(令和5年度): RPA、AI-OCR、AI議事録、e-Learning、物品調達の5テーマで、東京都を含む都内30自治体・団体が参加。単独調達と比較して各ツールの調達コストを10%〜50%超削減し、全体で「約20億円」の調達コスト低減を達成した(GovTech東京 2024年4月26日 報道発表)。
- 第2回実施(令和6年度): パソコンやAI議事録など8項目に対象を拡大し、都内55の自治体等が参加。全体で「約23億円」のコスト削減を実現した。
- 累計削減額は「43億円超」: 個別の役所がバラバラに大手SIerと交渉するのをやめ、専門人材が間に入って仕様を統一し、ボリュームディスカウントを効かせるだけで、わずか2年で43億円以上の税金流出を食い止めたのである。
さらにGovTech東京は、民間テック出身エンジニアを擁することで、「仕様書が書けないからベンダーの言い値になる」という行政の根本的弱点を解消。過剰な安全マージンを削ぎ落とす技術的なガバナンスを発揮している。
事例②:神戸市「給付金ダッシュボード」と1,000アプリの職員内製化
「自前で作る」ことの破壊的なコスト削減とスピードを実証したのが神戸市である。
- 特別定額給付金ダッシュボード(2020年5月): 10万円の給付金をめぐり、「いつ振り込まれるのか」という市民からの問い合わせ電話が市役所に殺到。1日最大4万件に達し、電話回線がパンクした。大手SIerに外注すれば、仕様策定から入札、開発で「数千万円・最短でも2〜3ヶ月」。これでは住民の生活危機に間に合わない。そこで市の情報化担当職員が、日本マイクロソフトとの包括協定に基づきMicrosoft Power Platformを活用し、わずか1名の職員が約1週間で申請状況ダッシュボードを内製・公開した(日本マイクロソフト 記者発表資料)。結果として、市民がWebで直接進捗を確認できるようになり、1日4万件あった問い合わせ電話が3,000件へと激減(92.5%削減)。かかった費用は既存ライセンス内のわずか実質ゼロ円であった。
- 全庁1,000アプリの内製化(市民開発の制度化): 神戸市はこの成功体験を一時的な美談で終わらせず、職員自らが業務アプリを開発する「市民開発」を組織的に推進。すでに庁内で1,000を超える業務アプリが稼働している(サイボウズ kintone 神戸市役所導入事例)。全庁で「紙22万枚削減」「押印176万回削減」を達成しただけでなく、通常であれば外部委託で1アプリあたり数百万円(累計数十億円規模)かかるはずだったシステム改修・開発費を丸ごと抑制することに成功している。
事例③:地方自治体におけるノーコード活用の成果
- 千葉県市原市: 市職員自らがノーコードで道路損傷通報システムや窓口予約システムを内製。従来の外部委託に比べ開発期間を1/5に短縮し、数千万円規模の委託費を削減。
- 福島県福島市: 庁内手続きのローコード内製化により、年間約55,000枚の紙の申請書と数千時間の残業を削減。
【反論への回答】基幹系とフロントエンドの「バイモーダルIT(責任分界)」
「行政システムを素人が内製して、セキュリティや個人情報は大丈夫なのか?」という懸念は当然生じる。ここで重要なのは、「すべてを内製化するのではない」という明確な責任分界(バイモーダルIT)である。
- モード1(基幹・SoR: Systems of Record): 住民基本台帳や税務など、絶対にダウンが許されない基幹データは、国の標準化基盤や信頼できる大手SIerが堅牢に維持管理する。
- モード2(接点・SoE: Systems of Engagement): 住民窓口予約、アンケート、申請状況確認、庁内申請書などのフロントエンドは、ノーコードやモダンWebを用いて、現場職員とシビックテックが数週間単位でアジャイルに内製・改善する。
この2層分離を徹底することで、セキュリティリスクを完全に隔離しながら、圧倒的なコスト削減とスピードを両立できるのである。
第4章:地方自治体が明日から始められる「3大スキーム」
「GovTech東京や大都市の神戸市だからできたのだろう。うちのような地方の小規模自治体にはテック人材も予算もない」
そう思われる地方自治体関係者の方も多いかもしれない。しかし地方自治体こそ、地域のシビックテック(技術者コミュニティ)やNPOと連携することで、予算をかけずに内製化PoCを立ち上げる道がある。最大の障壁とされる「地方自治法第234条(一般競争入札の原則)」を適法にクリアし、民間の俊敏な力を取り込むための3大スキームを提案する。
価格競争(安かろう悪かろう)を排除し、「技術提案力」「内製化伴走力」を評価軸に指定。
2025年4月政令改正で役務限度額が100万円へ倍増。予算ゼロ協定+100万円以下随契で1〜2週間のプロトタイプ実証。
デジ田交付金(TYPE1/2/3)や地方創生推進交付金を自治体×地域NPOのコンソーシアムで獲得。
スキーム①:公募型プロポーザル方式による「伴走型内製化支援」の調達
システムの「完成品納品」を発注するのではなく、「市職員が自らローコードやモダンWebで内製できるようになるための技術伴走・メンター業務」を公募型プロポーザルで調達する。価格のみの自動落札を避け、企画提案書で「どれだけ安価に、どれだけ現場の自走力を育てられるか」を審査することで、多重下請けの大手SIerではなく、機動力のある地域のテックチームを適法に採択できる。
スキーム②:包括連携協定 + 少額随契PoC(2025年4月政令改正の追い風)
最初から数千万円の補正予算を議会に通そうとするから、数ヶ月の審議とリスク回避の議論で頓挫する。
- まずは自治体と地域NPOで「DX推進に関する包括連携協定(協定書締結のみ・予算ゼロ)」を結ぶ。
- 次に少額随意契約を活用する。注目すべきは、2025年(令和7年)4月1日に施行された「地方自治法施行令の一部を改正する政令(令和7年政令第94号・別表第5)」により、役務・業務委託の少額随意契約限度額が約50年ぶりに従来の「50万円以下」から「100万円以下」へ倍増された点である。
- これにより、財政課の厳しい制約下でも、50万〜100万円の枠内で「1〜2週間のプロトタイプ実証実験」が極めて機動的に発注可能になった。
- 現場で動くものを見せ、住民満足度やコスト削減の「既成事実」を先に作ってしまうのが最も確実な突破口である。
スキーム③:国交付金(デジ田・地方創生)の共同申請
自治体の一般財源を使わず、デジタル庁・内閣府の「デジタル田園都市国家構想交付金(地方創生推進タイプ等)」を自治体と地域パートナーがチームを組んで獲得する。国の交付金(補助率1/2〜10/10)を活用することで、財政課のハードルを劇的に下げることが可能である。
結び:批判を越えて「動くコード」で共創するコモンズへ
「行政のシステムは無駄が多い」と外から石を投げるのは簡単である。しかし、どれだけ批判しても、前例踏襲の制度とリスク回避の力学の中にいる現場の職員が救われることはない。
必要なのは、「外から文句を言うクレーマー」ではなく、「内側に入って一緒に手を動かすDoer(実践者)」である。
東京都のGovTech東京が示したように、行政が主権を取り戻し、民間がそこにプロの技術とスピードを注ぎ込めば、行政ITは数億円の浪費から「数万円で市民の命と時間を救うインフラ」へと生まれ変わることができる。
私たち特定非営利活動法人 Open Coral Networkは、富山県をはじめとする地方から、行政の調達データや公金フローを可視化(Zaisei Radar)し、地域エンジニアと行政現場をつなぐ「地域シェア型GovTechスタジオ」の具現化に挑戦している。
ボタン1つに2,000万円かかる時代を終わらせ、市民の手で公共をアップデートする。その第一歩は、目の前の小さな業務を、現場の手で内製化してみることから始まる。
【次回予告】第2弾記事
「『社会は変えられない』81%の国で、なぜシビックテックは失速するのか?(山古志・台湾g0v・北欧の徹底比較)」
善意のボランティアに依存するシビックテックがなぜ疲弊して消えていくのか? 新潟県山古志DAOの挑戦と教訓、台湾g0vの「Do-ocracy」、北欧の熟議プラットフォームDecidimの設計思想を解剖し、「疲弊しない持続可能なデジタル・コモンズ」の条件を問い直す。
参考文献・公式一次資料(References)
- 公正取引委員会(2022年2月8日): 官公庁における情報システム調達に関する実態調査について(報告書本体PDF / 概要資料PDF)
- 中核市市長会(2025年1月): 地方公共団体情報システム標準化に関する緊急要望(活動記録・提言一覧)
- 一般財団法人GovTech東京: デジタルツール等の共同調達事業(コスト低減効果実績発表) / GovTech東京 公式サイト / 東京都デジタルサービス局
- 神戸市 / 日本マイクロソフト / サイボウズ: 特別定額給付金ダッシュボード短期間構築(日本マイクロソフト 記者発表) / 全庁1,000アプリ市民開発推進(サイボウズ 事例)
- 総務省(2025年4月1日施行): 地方自治法施行令の一部を改正する政令(令和7年政令第94号・別表第5 少額随意契約基準額の見直し) / 自治行政局 行政課 公共調達・契約関連情報


